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電波兵器の研究では10メ-トル先のウサギを殺す実験に成功している。 映画「陸軍登戸研究所」 [陸軍登戸研究所]

 

 

 

 

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開館20分前に着いてしまった。

 

 

 

 



激しく降り始めた雨を避ける為、


先に居た猫と一緒に、


資料館の軒先で開館まで待つ事にした。




木々に覆われた弾薬庫跡がなんとなく不気味に映る。






今回は伴繁雄氏の「陸軍登戸研究所の真実」を読んで来たから、


展示品の意味が理解できた。



 
 

 

 

 

 

諜報、防諜、謀略器材の研究、

 

 


人体実験のため南京へ出張、



風船爆弾による米本土攻撃、




偽造紙幣の開発、





 



電波兵器の研究では10メ-トル先のウサギを殺す実験に成功したが、

終戦を向かえる。 

 

 

 

 

 

 

 



伴繁雄氏は平成5年十一月に脱稿されたが、


その直後の十一月十四日に伴氏は急逝された。(陸軍登戸研究所の真実から) 


 

  

 

神奈川県川崎市多摩区 明治大学生田キャンパス内

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドキュメンタリー映画「陸軍登戸研究所」予告編


タグ:歴史

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「やばい殺られる」と思った IN 新宿 [街の写真]

 

 

 

 

 

2007年の記事

 

 

 

 

 

 

バブル経済全盛期?に社会人に成った。

 

 

 

 

 

 

人はどうゆう立場で仕事をするかでだいぶ違うと思うが、

「学生の頃思い描いていた社会」と「現実の社会」とでは、

大きく違っていた。

 

詳しくは話せないが、最近ニュースにも良く出てくる、

「偽りの仕事」を独り倉庫の中でやらされていた事が有る、

世の中こんな程度の物だったのか...と思えた。

 

 

  

 

 

 

世の中おかしく成っていた、自分もおかしくなっていた。

 

 

自分が自分でいられなくなるという苦痛に苛まれるとよくこの街を徘徊した。

 

ボッタクリのお店に引っかかった事も...

 

 

 

  

 

 

 

「歌舞伎町24時間潜入」と言うTV番組に映し出されてしまった事が有る、

当時付き合っていた女性に「あなた歌舞伎町で何やっていたのよ!」と、

問い詰められた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バブル経済も終わりかけていた頃、

1995年4月30日 お昼頃 ゴールデンウイークの初日だったか?

その日の新宿は人出が多かった。

 

 

コンタクトレンズがずれたので新宿駅東口公衆トイレに入り鏡を見ながら、

コンタクトレンズを一旦外し目薬を差し右目に戻していたところ、

トイレの奥の方から私を睨み付ける男がいた。

 

 

数秒間 睨み合った、 

「お前オウムか!」と言ってやろうと思ったが、

男は左手に持った鞄の中に右手を突っ込み、

急激に顔を激しく震わせ 魔人の様な形相に変った、

体全身に力が入っているのが判った。

 

 

「やばい殺られる」と思った。

 

 

このまま後ろを見せてトイレの外に逃げるより

真横の大便の方に入り鍵をかけた、 

暫く様子を伺ったが 男は出て行く気配が無い、

その内「カッチン カッチン」と言う金属音が聞こえて来た、

恐怖心は頂点に達した。

 

 

 

 

 

 

 

逃げるタイミングを完全に逸した、

もう一人誰かが入ってくるのを待った、どれ位大便の方に居たのだろうか?

誰かが入って来る音がしたと同時に鍵を開けて外に出た、

入って来た人も その男の異様さに気づき足早に出ていったしまった、

後ろに神経を集中させゆっくりとトイレの外に出た、

トイレの外には見張り番らしき男が立っていた。

 

その五日後 オウム真理教による新宿駅青酸ガス事件起きた。

 

後でテレビを見て判ったのだが

トイレの奥にいた男は オウム真理教の中川智正被告だった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月30日、5月3日は未遂、

5月5日の新宿駅青酸ガス事件も失敗に終わったから良かったけれど、

直ぐに警察に通報するべきだった。 

 

 

 

 

中川は本当に俺を殺すつもりだったのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの睨み合いが無かったら

この町の人達の多くが死んでいたのだろか?                                                                     

 

 

 

写真 「東京都 新宿区」

 

 

この記事の続編 「アスファルトに落ちた蝉」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


タグ:新宿

共通テーマ:アート

陰陽五行 「陰の連鎖」 [八王子城]

 

 

 

 

深沢山心源院から八王子神社に向う。

 





 

 






人気のない山道に、霊の波動を感じる。

獣の糞に辺りを見廻す。 

 

 








八王子神社に祀られている“牛頭天王”が陰陽道の神様だと知らなかった。



 

 

 

 

 

 

 

 

陰陽五行 「陽の連鎖」


木は燃えて火を生む。


 

物が燃えれば、

後には灰が残り、

灰は土に還る。

鉱物、金属は土の中に在り、

土を掘ることにより、

その金属を得る事が出来る。





金属の表面には凝結により水が生じる。

木は水により養われ、

水がなければ木は枯れてしまう。


 

 

 

 

 

 

 

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陰陽五行 「陰の連鎖」

木が燃え続ければ、

火はやがて衰え。

水が溢れ続ければ、

木は腐ってしまう。


金に水が凝固しすぎると金が錆びる。


土から鉱石を採りすぎると土がその分減り。
 

物が燃えた時に出る灰が溜まり過ぎると、

土の処理能力が追いつかなくなる。


 

 

 

 

 

原因から結果を見る、

それが、全体をみる事に繋がる。










 

五行思想 Wikipedia 参照









 

 

 

 

 

 






 

「結果の世界」には丁半がある、 

「原因の世界」には悪はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 



共通テーマ:アート

昭和の写真「映画を観たら東京タワーに登りたくなった。」  [昭和の写真]

 

 

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昭和34年11月24日(1959年11月24日)

僕が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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東京タワ-はもう既に建っていた。               
                                                                                     


 

 

 

 





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都電が庶民の足で、     




 

 

 

 

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まだ東京にも蒸気機関車が走っいた。   

   



 

 

 




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羽田ではプロペラの旅客機が活躍していた。 

 

なぜか昭和39年の東京オリンピックの記憶が無い。

 

 

                                                                                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

父は「戦争の生き残り」で、

    
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
東京の大田区辺りの京浜工業地帯で旋盤工をしていた、 

 

汗臭いのが当たり前でビ-ルを飲むと上機嫌だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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若い頃は戦友会にもよく出掛けていたが、

                                                                                                                             

晩年は戦友会もいわゆる人生の成功者達の集まりに成ってしまい、 
  

                                                                                                    

「オレの行く所では無い」と出掛けることは無かった。  
                                                                                                                                                   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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高校生の時「お父さんが戦争で殺した人達はどんな表情していた!」と聞いた事が有る、

 

真実を知りたかったから けれど答えてくれなかった。 

                                                                                            

ただ 「経済さえ ちゃんとしていれば そんな事はする必要が無かった」と言っていた、  

 

進学は経済学部にした。

 

 

 

                                                                   

 


 

蒲田のガード下や池上本門寺のお会式で 


                                                 
戦争で手足を失った白装束の人達がアコ-ディオンで、 

 
                                         
「此処はお国の何百里・・・・」と悲しげに演奏していたのを良く見かけたが、 

    
                           
いつの日か居なく成っていた。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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家から帰るといつもテ-ブルの上には母が内職で作った、

    
                                      
「どこから見てもカツラと判るカツラ」がテ-ブルの上に沢山置かれていた。

 

 

                                                                             



僕たち兄弟(私は次男)が小学校の高学年に成った頃、        

                                                                      

母は近所の町工場でトランジスタラジオや玩具のトランシーバの組み立てをしていた、
 

 
その頃は景気が良く 月の石を見る為に行列が出来た大阪万国博に社員旅行に行っていた。

 

                                                  


 

すき焼きのお肉が「豚肉」でなく、

   
                                                      
本当は「牛肉」だと知ったのは小学年二年生の頃だったと思う、

   
                                   
溶き卵ですき焼きの「牛肉」を食べるのは許されない贅沢だと思っていた。 

 





でもこの世で一番美味しい食べ物は母の作ってくれた、    

                                                                                                                   

もう二度と食べられない豚肉入りのカレーライスだったと今でも思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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誕生日とクリスマスにしか食べられないケーキは、

     
                                         
ヤマザキの「バタ-クリーム」で、

    
                                                       
不二家の「生クリーム」のケ-キは買ってくれなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

家は貧しかったけれど両親の頑張りで「ひもじい思い」はしたことは無かった。

 

                                               

 

 

 

 

 

 

 

 

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線路脇の家は電車が通る度に揺れた、 
      

                                       
テレビは電波障害を起こし「ザァ-」と成った、  
    

                                                                  
いい場面で「ザァ-」と成ると家族全員で「アッ-」って声を上げていた。                              



 

 

 

 

 

 

 

社会人に成るまで 家にお風呂が無かった、 
    

                                              
銭湯行くと必ず背中を流してくれる優しいおじさんがいた、 
    

                                                  
ある日 いつもの様に背中を流してくれるかと思ったら
    

                                                                                             
泡だらけに成った体で後ろから抱きつき両手を下半身に伸ばして来た。

 

 

 

当時「オカマ」と言う言葉あったが「ホモ」と言う言葉は無かった気がする、 

                               

とんだ「オカマ」体験だった、それ以来銭湯に行くのが怖くなった。   


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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幼稚園に入る前 事故に有った。  
          

                                                  

友達のクンちゃんに誘われ道路に放置された解体途中の車の上で遊んでいたら、   

                                                                                 

車が崩れ下敷きに成ってしまった、    

                                                                                           

運良く首だけは外に出ていたが左足が挟まり外に出る事が出来なかった、     

                                                                          

クンちやんが大人を呼びに行くまで時間が掛かり日も暮れ始めていた、 

                                                                               

何時間独りで車の下に居たのだろう、救出された時の痛さは今でも覚えている。

 

 

 

 

 


  

1970年の安保闘争の時 家の近くの線路上で機動隊と学生の衝突が有った、  

 

機動隊に追われた学生?が家の玄関に逃げ込んできた。   
                                  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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小学6年から社会人に成るまで好きだった女の子は僕が町を出る時泣いていた。

 

 

 

 

 

 

父が亡くなる時 ひとり身の私を案じて   
                                                                                    

ナースコール利用して看護婦さんに私を紹介していた。 

 

 

 

 

 

 

子供の頃 事有る毎に私に「育て方を間違えた」と言っていた母が亡くなる時

 

「あきらが居てくれて良かった」と言っていた。               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

39年前家族と一緒に登った東京タワーに一人で登った。 

                                                                  

39年前と同じ様に階段を使って登った、

                                                                                         

 

たやすく登れた筈なのに可也ばてた。  


          

 

                                         

 

夕陽が目にしみた。   
 

 

 

 

 

帰りに何度も振り返り東京タワー見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東京タワーってこんなに綺麗なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2007年の記事を再編集しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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